近野電機・近洋ラジエータ 新館

姫サーのオタです。いちおうネット屋

誠に勝手ながら本日は店休とさせていただきますと同じだろ

グノシーか何かで、『間違ったビジネス用語』みたいな記事を見つけた。
言葉に関する話題は大好きだから、つい読んでしまう。

挙がっているのはどれも有名なやつばかりで、目新しいものはなかった。
上司にご苦労さまはダメだよ、とか
了解ですもダメ、とか。

そんな中ひとつだけ、気になるものがあった。
それは、「お休みをいただいております」という表現。
「どうも、近野電機の古野ですけど、よなねずさんいらっしゃいます?」
「申し訳ありません、よなねずは本日お休みをいただいておりまして」
ってやつだ。誤用だというのをたまに目にする。

社外の人に対して、休みをくれた自分の会社を敬わんでよろしい、という理論のもと、
「休暇を取っております」が適切だと述べられている。

はたしてそうかな。
というより、この解釈自体がまちがっている気がする。

この場合、別に「休ませてもらって、社長さんほんとにありがとね♡」と身内を敬っているわけではない。
かといって、「大学時代は幹事長を務めさせていただきました」
とかいう敬意の対象が不明な“させていただく病”の一種ともちがう。
(させていただくの乱用、本当に嫌い。じんましん出そう)

これはちゃんと、電話の向こうの相手を敬っている使い方だとわたしは思う。


「あなたや世間の皆さまが一生懸命働いてらっしゃるところを、
ウチのよなねずはお休みさせてもらっています、申し訳ありませんねえ」
わたしがこの表現を使うときは、こんな感覚であって、
悪いけれど社内の人間のことなんて1ミリも考えていない。笑

つまり敬意の対象は、電話の相手の人を筆頭に今この時間お仕事をされている日本の皆さまなのである。


もちろん、この言い回しをする人すべてが同じ感覚を持っているとはいわないけれど、
だいたいは似たようなイメージで使っているのではないかなあと思う。
そもそも相手の人が感覚を共有できなければ、つかうべきではないけれども。

今日の人

渋谷駅東口のバスターミナルと旧東横線のりばとのあいだのスペースに、
ストリートミュージシャンみたいな人たちがいる。
毎日変わる(と思う)し全然憶えられないけど、
今日は青春系バンドの若いお兄さんたちが3〜4人いた。
くせのない感じの、さわやか大学生といったところ。

段ボールに「おつかれ〜っず」と書いてあるから(うろ憶え)、
これがおそらく彼らのチーム名なのでしょう。

変なバンド名に苦笑しながら通り過ぎようとすると、

少し離れた柱沿いに、若い女の人が立っている。
あの喫煙所のそばに仮設トイレが並んでいて、その手前。

彼女は観客から離れたところで、
何ともいえない微笑みをたたえて、おつかれの活動を見ていた。
どちらかというと地味で真面目そうな女性だが、何やら危ないものを感じた。
個性的なファッションをしているわけではなかったけれど、自己主張が強そうだ。

これがいわゆる、「売れない頃からずっと応援していたのに」か。
と思ってうすら寒くなった。うまくいえないけど、確信させるものがあった。

例えばなんだろう…服とか化粧とかおとなしいのに、軟骨にまでびっしりピアスをつけている、
そういう子が発するようなオーラを持っていた。

おつかれずは正直どうでもいいけど、彼女にまた会ってみたいですね。

卒業したった

春から社会人だというと
どんなに疲れた感じのおっさんでも、ほとんどの人は
「社会人はつらいことも多いけど楽しいよ」と言ってくれる。
しかし、某大手一流メーカー勤務のイケメン(30代後半)は笑顔でバッサリ。
「いやあそれはもう、どしゃ降りの雨の中に傘もささず飛び出していくようなものですから!」




皆さまお久しぶりです。
どうしようもないクズでダメ人間のわたしですが、なんとか卒業しました。
入るのにもそれなりに苦労はしましたが、出るときの方がよっぽど大変です。


安易に留年したことを後悔したときもありましたが、
この1年間は本当にいろいろな出会いがあったので、
そういう意味では、追加でもう1年大学生をやれてよかったです。
(でも就活だけは二度としたくありません。)

それにしても、確かにこの間まで女子高生だったのに、思えば遠くまで来たものです。
きっとすぐに「ついこの間まで20代だったのにwwwwww」とか言ってると思います。
その頃はどのような媒体で、わたしたちは自分の想いを発信しているんでしょうね。


ところで来週の今頃は入社式も終えて翌日から始まる研修に備えてすやすや…
と考えると叫び出したくなりますね。
どうしてわたしには継ぐべきしいたけ農家がないのでしょうか。

とりあえず、この度卒園・卒業などなされた皆さま、まことにおめでとうございました。

とある寿司屋の揚げ物職人(フライガール) その2

先回のあらすじ

名古屋市内の某回転寿司屋に短期アルバイトとして潜入した筆者(当時16歳女子高生)は、
初日から「ジャンボエビフライ寿司」をはじめとする揚げ物寿司の製造を任される。
地味に店の売上を支えているに違いないこれらの邪道寿司は、うら若き派遣スタッフの双肩に託された。

....
ちょっと無理そうだと思っても、大抵のことは慣れでできるようになるものだ。
内心大騒ぎしていたものの、2時間もすれば割とコツもつかめてきた。
穴子のタレって、スーパーとかで売られているのを見たことないけど、どこで手に入るんだろう…?」
などという半分くらいしか業務に関係ないことを考えるゆとりさえ生まれていた。

だがそんなわたしの余裕っぷりはばっちりチェックされていたようだ。
偉い人は、手際が良くなってきたと褒めたあとこう告げた。
「こんどうさん、そろそろアレもお願いしようかな」

実はもう一品、わたしが作るべきメニューがあった。
少々イレギュラーな工程を踏むため、揚げ物に慣れてから教えるねと言われていたのだった。

それが「炙りマヨガーリックえび」という期間限定メニューである。
もしかしたら「炙りえびガーリックマヨ」だったかもしれないが忘れた。
とにかく、エビでマヨでガーリックで炙りなのだ。
若年層を中心に、みんなの垂涎ワードが4つも並んでいる。
人気メニューであることは容易に想像できた。

偉い人が実演で作り方を示してくれたが、なるほど結構めんどくさい。
鉄板の上に甘エビの開きを並べ、ガーリックオイルとマヨネーズを散布。
そしてこれをガスバーナーでひとしきりあぶった。こうしてネタが完成。
「すぐなくなって注文殺到するから、こまめに作ってね」

ていうかこれ、何で揚げ物セクションの管轄なの?
「とろびんちょうの炙りたたき」とかを担当している花板がやればいいじゃん!!
と言いたい気持ちをぐっとこらえてガスバーナーを受け取る。

炙りマヨガーリックえびの登場により、つかみかけていたペースを失ってしまった。
フライの油でそこらじゅうベタベタしているので、
キス天をつかみながら片手間にエビをあぶる、といった同時作業が怖くてできない。
「ガーリックえび」製造中はそれのみに集中しなければならなかった。
仕方ないので、これでもかというほど流してやったが、客席でちゃんと消費されているらしい。
作りすぎ、とインカムで注意されることもなかった。


そうこうしているうちにランチタイムが過ぎ、客足もまばらになった。
ここでようやく休憩をもらう。
偉い人「好きなお寿司を取って食べていいよ(8皿まで)」
そう、この特典に釣られて今回のバイトに応募したのである。

しかしわたしはこのとき、しばらくお寿司のいないところへ行きたかった。
もはや食べたいとかは感じなかった。
どうやら一定時間内に閲覧できるお寿司の上限数を超えてしまったようだ。
酢と揚げ油のにおいにあてられてしまった可能性もある。

残念な気持ちもあったが、意地になるのもアホらしい。
心の声に従い、隣のコンビニでファミチキを買った。

休憩後のことはあまり憶えていない。
ディナータイムに向けて、まずそうな日本酒をお銚子に詰めて温めたりした。
女子高生だったため、9時くらいには退勤となった。

こうして長い一日が終わった。
疲れていたため早めに寝た。夢に寿司の類は一切出てこなかった。


そして2日目と3日目も同じように過ぎた。



業務に関しては、寿司製造軽作業マシーンとしてまあそれなりに活躍した、と思う。
何事もそうだけど、手抜きポイントを見つけてしまえば割と楽になる。
煩わしかった「ガーリックえび」も、ガスバーナーの扱いに慣れると案外楽しくなった。
悪役キャラで無双するようなサディスティックな気持ちになり、悪くない。

「燔祭(ホロコースト)(・∀・)!燔祭(・∀・)!」※原義の方ですよ、念のため。

ひとつ面倒だったのは「できたて厨」。
レーンにたくさん流れているのに注文する客のことだ。揚げたてが食えると思っているのだろうが、甘い。
悪いけれど、エビフライを注文されても手元のトレーにあるものを載せるだけだ。
とくに指定されなければ、ひとつやふたつの注文で新しく揚げたりはしない。
鮮魚に関しては有効なテだが、揚げ物の場合は大人しくそのへんにあるやつを取りましょう。
どうしても熱いのが食べたかったら素直に「揚げたてをくれ」と言わないと、
スタッフ一同気づかないフリをしますからね。

もちろん嫌なことばかりではない。
自分の作ったもので飢えたる人々の腹を満たす、という行為の喜びを知ったのもこのときだった。
まるで、飽くことを知らないヒナ鳥たちの口に次から次へとエサを突っ込んでいく親鳥の心境である。
「このジャンクな寿司を好きなだけ食って、もっと大きくなるがよい!!」
お客さんが食べている様子が直接見えなくても、このように感じるのだから、
きっとラーメン屋の厨房などに立てば、より大きな快感を味わえるのかもしれない。


さてわたしの悲願だったセレクト寿司ランチについてだが、
2日目と3日目の休憩では、おいしくいただくことができた。
しかし、楽しみにしていたまぐろ天&穴子天に手が伸びることはなかった。
理由は天ぷら・フライがことごとくイカ臭かったから。
イカの揚げ物は、当方にとってトラウマ料理のひとつであり、
一緒のお風呂に漬かり一緒のサウナに待機していた穴子さんたちは、もはや一様にイカ天であった。



こうして3日間の寿司屋修行は終わった。
のちに数回、ほかの回転寿司屋で派遣アルバイトをすることになるが、
こちらのお店が一番印象的だったし(ネタ的な意味で)楽しかった。

あれから7年。
それにしても最近の回転寿司は進化しましたねえ。
居酒屋のようにタッチパネルで注文できるし、頼んだものはもちろんレーンに乗ってやってくる。
ヘタすると店員と会話はおろか、ほとんど顔を合わせることなく食事ができてしまう。
これはむしろ退化だよね。
「づけまぐろ」という粗野な響きや、それに応える「あいよ!づけえ〜ェ一丁!」「へェい!」
というカウンター内のやりとりに気恥かしさを覚えながらも
得られたづけまぐろのおいしさを心に刻みつつ、人は大人になるのだから。

記憶の海に潜る

わたしたちは概して、余計なことばかり詳細に憶えているものだけど、
それさえ自分の主観というかバイアスがかかっている。と感じた体験。

数日前。
西早稲田交差点のバス停のところでバスを待ちながら脳内会議をしていると、
突然ある映像が頭の中に浮かんだ。

それは昔観た音楽番組の演奏シーンだ。
大正ロマンというかジャポニズム趣味の入った素敵な内装のこぢんまりとしたホールで、椎名林檎が歌っている。
また、別の放送回では、同じ場所でトータス松本が歌っている。

この場所はどこだろう。豪華なシャンデリアが印象的な小ホール。
有名な建物の一室だった気がする。何だったっけ。猛烈に気になった。

だが思い出せない。底なし沼のような頭の中を必死でかきまわす。
しだいに、この"画"が伴っていた記憶がずるずると出てきた。
1.これは自分がまだ実家にいた頃(至2008年3月末)のTV番組。
2.深夜に近い時間帯。父親がその場にいた記憶があるので、土日の可能性が高い。
3.この建物は重要文化財か何かで、港区にある。漢字の名前がついているハズ。(母談)
4.会場のことも含め、この番組に出演できるのは割と名誉なことらしい。(母談)

港区…港区赤坂…赤坂…赤坂離宮じゃないの!?

たぶんそれだッ!
わたしはバス接近情報のページを、新しい検索窓に切り替えた。

ところが、それらしい検索結果が一件も見つからない。
赤坂離宮迎賓館のデータはたくさん出てくるが、ここで歌謡曲系の歌番組が収録されたという情報は皆無だ。
写真も見たが、記憶の中のホールよりずっと豪華絢爛である。しかも重文どころか国宝らしい。
こんなところに照明機材やら何やら持ち込んで、ライブなんてできるのだろうか。
いや、ダメだろう。おそらく赤坂離宮は勘違いだ。

こうなったら"テレフォン"だ。
D
ちなみに"オーディエンス"はtwitterの皆さんにフルシカトを喰らった。
かつて旧赤坂プリンスホテル「飛天の間」をわたしに教えてくれた、母に電話してみた。

母「その番組自体わからない。それに赤坂迎賓館なんかは、気軽に利用できないと思うけど」
同感だ。というわけで一応父にも聞いてみる。
父「う〜ん。○×※(番組名)とか@*#(番組名)とかは違うの?ママの方がテレビっ子やろ。ママに聞いてみなさい」


ギブアップ。強いキーワードが足りない。

たしかにgoogle先生は何でも知っているし、何でも教えてくれる。
でも、彼は自分の持つ情報について、何一つ憶えていない。
コンシェルジュではなくて、電子辞書なのだ。
聞かれたことに対して、毎回帳簿をひっぱり出してきて保管場所を示してくれるだけだ。
むしろ彼の仕事は、何という情報を請求されたかをしっかりと記憶しておくことにあるといえる。

というわけで暗礁に乗り上げてしまった。

調べる方法もなくなり、ついに「土日深夜の歌番組でシャンデリアが」
というロングセンテンスを突っ込む大変頭の悪い検索もしてみたが、やっぱりだめだ。
ここは最終手段だ。
Yahoo!ゴミもとい知恵袋で生身の人間に聞いてみるしかない。
捨てIDを取得するかどうしようか。めんどくさいなあと思っていると、

検索結果の本文の中のある単語が目にとまった。
僕らの音楽
初見の単語だったが、どこかで聞いた気がする。
もしや昨日父が早口でつぶやいていた番組って、これのことでは…!

まさかとは思いながら画像検索をしてみると、
的 中 !
こ れ だ キタ━(゚∀゚)━!


これでした。


うわああスッキリした、よかった。パパありがとう。
しかし意外にこのホール、ショボかった。
素敵な会場ではあるものの、記憶の中のイメージよりもずっとカジュアルでシンプルだった。
あのヘチマのような形をしたバカラだと思っていたシャンデリアも、
フランフランの天井から下がっているようなカワイイやつではないか。

そして問題のロケ地だが、何とお台場フジテレビの中のスタジオらしい。
赤坂離宮ではないにせよ、せめてどこか有名ホテルのバンケットホール
だろうと思っていたわたしは妙に残念な気持ちになった。
お母さん、確かに赤坂か青山の何某ってところだよって言ってたのになあ。。


それにしても、人間の記憶とは非常に主観的でいい加減なものだ。
実際に観た映像であっても、自分流の解釈を加えて、
しかもいい感じに自然な形に編集して記憶してしまうのだから。


参考:フジテレビ『僕らの音楽』

ブログ書くの苦手です、の話

しっかりとした記事を書こうと思うと一朝一夕では完成せず、
ブログの更新も停滞しがちになる。
毎日、いや一週間に1,2回でも、それなりの質や量のある内容を更新している人はすごいと思う。


わたしは文体のおもしろさで人を惹きつけられるような、そんな書き手ではないので、
別段主張もない日記としての文章はメモ帳にでも書いていればよろしい、と考えている。
もちろん、他の人については、どんなものを書こうが各人の勝手。
だから日々のつれづれなる記録のようなブログに関して、批判はないですよ。それもいいと思う。
ただわたしは、強く表明したい事柄がないときはブログを書かない。

ところが、そうこうしているうちに長い文章が書けなくなってきた。
人に読んでもらうことを想定した文章をつくるのにはエネルギーが要る。
時間も要る。しかもわたしは心配性だから何度も推敲する。

主張したいことがないわけじゃない。むしろ毎日新しい話題は生まれている。
でも、それをきちんと文章として組み立てて、他の人に読んでもらうレベルにするための作業を前に、
多くの話題が、主張が書きかけになってしまう。

文章を書くのって難しい。大変だし。好きじゃないのかもしれない。
嫌いならやらなきゃいいじゃん、と言われそうだけど、手を止めてはいけない気もする。
そんな想いで「アサガオ観察日記」のような色気も味気もない日記も10年以上続いている。

とりあえず、もうちょっと頻繁に書くこと、人に見せられるレベルは保ちながらもそんなに気を張らないこと、かな。
140字で手軽に発信できる某ツールはとっても自分に合っているけれど、
長い文章が苦手になってきた一因でもあると思う。思うじゃなくて、重大な要因ですね。
それは、授業の感想やアルバイト中の日誌を書くときにも感じる。欄が埋まらないなあって。

短そうに見える『天声人語』でも600字前後あると知ってちょっと驚いた。
5,600字の文章ぐらい、ささっと書けるようになりたい。
一日のうちで日記以外に書き物をする時間をつくりましょうかね。

ごあいさつ

結構前の話ですが、どうにか就活が終わりました。
すごく苦労したつもりだったのですが、客観的に振り返ってみると
不遇というよりは「まあしょうがないよね」という感じです。
偉そうに語れることなんてないですね。

でも、これだけは言いたい。
お世話になった人たちには本当に感謝しています。
いつか恩返しをしたいし、人の縁というものをこれからも大切にしていきたいです。



ついでにもうひとつ。インターンをさせていただいた某広告会社。
いちいち書く気はないけど、だらしないクソ会社だった。
できればと言わずにぜひ潰れてほしいです。